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2010年9月

ホーリーと観劇! part 6 「私の感性」

・・・ 3年目に突入!
    でも、まだ2006年の話 ・・・

「感性はみんな違う!」

 観劇に先駆けて読んだ()聞いた藤本としさんの本の朗読。朗読ボランティアさんが
読み録音してくれた貴重なテープ。そのお陰で、視力を失っても聞く読書ができ、
観劇前に予備知識を仕入れることができます。(感謝)

 点字図書館の存在を知る前のこと。テレビのリモコンを持って、日がな一日
テレビだけを相手にしていた頃、徐々に視力が落ちる病気で、当時は残存視力が
あった知人が、自転車に山ほど朗読テープを積んで持ってきてくれたことがありました。

それらは市販されているテープで、全てタレントが朗読・録音された物でした。
が、それは、残念なことに、本を丸々一冊読んではおらず、一部抜粋で短くしてありました。
それでも活字に飢えていた私は、ようやくリモコンと決別することが出来たのです。

当たり前ですが、朗読は上手でした。効果音も使われており、タレントは朗読で
演じ、まるで一人芝居を聞いているようでした。それなのに、たくさん聞いて
いるうちに飽きてしまうのです。読書好きの私です。どうしてか判りませんでした。

後にボランティアの朗読テープを聴いた時、私は「与えられた感性」について
考えさせられました。今回の観劇は、あのときのタレントが演じていた朗読と
同じでした。

 もし視力があれば、ライトで、暗く明るくなる劇場の印象や、その時の役者の
動き・台詞・衣装の効果でストーリーの現実性が深まるでしょう。
でも、それらが何の効果も持たない私のような者にとって、大切なのは役者の
声から受ける印象だけです。動きも表情も、役者の演技をもり立てるそれら全てを
除外したとき、あいてを捕らえ心をガッチリ掴みシンパシーを与えられるのが
その役者の持つ「訴える力」。そんな気がします。

もちろん、効果音には刺激されますが、私の感性は訴えます。「どうしてここで
雷鳴が必要なの?」と。そして盛り上げるための予測もつくのです。
「そろそろ来るぞ!」って。強調する部分を声高に力を込めて言うのではなく、
静かに淡々と語っていても伝わって来るものはあります。残念ですが、一人芝居は、
朗読ボランティアさんが、訥々と読んでくれたテープ以上に、私に何も与えてはくれませんでした。

 芝居も終盤に近づき、話しには更に力がこもります。万雷の拍手。
でも、ホーリー君はブラボーとは吠えませんでした。ホーリーの感性の話しではなく、
単純に吠えなくてよかった!と言う程度の意味です。(汗) 

劇中、途中の雷鳴の場面で大きい音に驚き、一度だけ立ち上がってしまった
ホーリー君でしたが、「大丈夫、大丈夫」となだめ、それから再度ダウンの姿勢。
彼が安心するようずっと背中を撫で続けていたら落ち着いて、以後はそのまま
ダウンしていました。

「盲導犬なのに?」といぶかる肩もいらっしゃるでしょう。でも、我々より格段に
聴力の発達している彼らです。場内の大きな音を不審がっても当然。
吠えなかったことを褒めてあげて下さい。と書くと、「だったらそんな場所に
連れてこなければいい」と聞こえて来そうです。この辺の話しはいずれまた。

 こうしてホーリー君との初めての観劇は終わりました。思うに、
知人が持ってきてくれた、タレントが朗読したたくさんの市販のテープから感じた
違和感は、そのタレントが感じ演じた感情だった。と言う事です。時々は
重なったけど、本から伝わってくるもの、著者が伝えたかった事、どこで読者の
アンテナが何を受信するかは読み手の感性。私のそれが彼らと違っていたんです。
共感とはそう言う事じゃないでしょうか。

 朗読ボランティア産たちって、ごくごく普通の人たちだと思います。それでも、
その朗読が私たちに与えてくれるものは、自らが感じる自由。人名を調べ感じの
読みを調べ、ただただ性格に、本を読むと言う無色透明の行為。そこには、
作り出され与えられた感性が、足下にも及ばない思いやりがあります。
朗読はあれでいい。イヤ、ああでなくてはならない。それを強く感じさせられた
観劇会でした。

 End

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ホーリーと観劇! part 5 「半分だけ生きている同じ世界!」

・・・ 3年目に突入!
    でも、まだ2006年の話 ・・・

「演じられなかった部分にあった私の世界!」

 ただ単に、一人の人間の一生を伝えるのではなく、もっと大きな役割を
結さんが担っていると気付いても、「あのお芝居で彼女は何を伝えたかったのかなぁ?「
って、しつこい私はずっと考えていたのでした。まぁ、それは御本人に
お伺いするのが一番! ただ、私はこう思うのです。

私のハンセン病の知識や情報は、全て本からの追体験でしかありません。
もちろん、結さんもそれは同じ。その現実を生きた訳じゃない。だけど、今、
私は、現実、視覚障害の世界を生きている。藤本さんのその部分の苦労だけは
よく判るんです。だからこそ、伝えて欲しい場面が違っていたのです。

 余談ですが、東村山の全生園(ハンセン病療養所)にいた北条民夫さんの
書いた「命の初夜」の中で、まだ四肢の自由を奪われていない患者の
恐れていることの一つに「失明」があって、その箇所を読んだとき、私は
すごくショックを受けました。

社会から隔離され、肉親から縁を切られたも同様の扱いを受けていた患者。
腐れ病と言われ恐れられていたその病の先に、まだ彼らを苦しめるものがある。
それが症状の悪化による失明。その人達の恐れていた世界の中を、今、現実に
生きている私。あ~ぁ、これが逆だったら私はどう感じるだろう。

 行動の自由を奪われてしまったこの年月。この上、四肢の自由・感覚まで
奪われてしまったら…。見えなくても、私には手や足、皮膚の感覚がある。
こうしてパソコンも使えるしホーリーの動きをハーネスから感じることができる。
それらの感覚さえ失ってしまったら、ホーリーとの歩行だって今どころの騒ぎ
じゃない。例え、彼がパーフェクトなスーパードッグだとしても絶対に歩けない!! イヤ、そんな話しもできないでしょう。永遠に私に盲導犬貸与の順番は
来ないでしょうから。(号泣)

 重荷の上に更に重荷を重ねられたら…。そう考えると、少しだけ、
藤本さんの世界が見える気がするんです。それでも藤本さんは明るかった。
優しかった。私はその理由・答えを知りたくて本を最後まで読み続けました。
私だけじゃない。その答えは、何らかの悩みを抱えている全ての人が求めているものだと思う。まぁ、最後まで読んでも判らなかったけど。(汗)

ちなみに、会場の入り口で会った百戦錬磨のNさんは、内容のあまりの重さに、
途中で本を閉じてしまったそうです。惜しいなぁ。完読しても判らなかった私が
言うのも何ですが、私みたいになればきっと答えを探さずにはいられないと
思います。判ったらコソッと教えて下さい。(汗)

そろそろこのエピソードも終盤に近づきました。が、続きは次回に回すとして、
 さ~て、我らがヒーローホーリー君はどうしているでしょう。おとなしく
ダウンしているでしょうか。

 用意されていた席は、舞台から一番遠い入り口付近でした。ここならスピーカーの音も
それほど大きくないだろうし、いざとなったら暗闇にまぎれてサッサト…、
逃げ出せないのよねぇ~これが!(涙) まぁなんとかなるでしょう。ホーリー君、
今回はスタンディングオベイションはなしでお願いしますね。(哀願)

 続く

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ホーリーと観劇! part 4 「視覚の助けってすごい!」

・・・ 3年目に突入!
    でも、まだ2006年の話 ・・・

「一人で演じても効果は必要」

 始まりました、始まりました。御神輿を担ぐ威勢の良い男衆の声がします。
一人芝居だからこれはテープでしょうけど、こんな場面あったかなぁ?
おーっ、張りのある女性の声! これが役者・結純子さんの声かも? 他の声が
聞こえないからきっとそうです。(汗)

舞台にいるのはひとりだけど、音と光は効果的に使っているようで、雷の音に
併せて場内が一瞬明るくなったり…。みなさんには、視覚的には結さんの衣装とか
動きが加わり、私が聞いている声と音以上のインパクトがあるんだろうなぁ。
やっぱ、臨場感って大切です!

 お話は進んで終盤近く。本読んでるから判るのよねぇ~。(汗)
でも、残念だったけど、私が期待していた場面、藤本さんが、ハンセン病と共に
視覚障害者として生きた厳しい現実。例えば、舌で点字を読むための
血のにじむような努力や、先だったご主人の入れ歯の洗浄を、指のない手でできず
自らの口に入れ舌でしていた場面、見えぬ目と麻痺した手足で、園内にある別棟の
友人宅を訪問する場面etcはなかった。{あっ、やっぱりここ取り上げてる}
と思った場面は数カ所。

藤本さんの人生には、これでもか、これでもかと不幸が襲ってくるんだけど、
どうしてそれらを除外しちゃったのかなぁ?って思うところがたくさんあって、
取り上げた部分で、結さんが何を伝えたかったが判る気がしたのでした。(汗)

それでも、大事なことは、個々人が興味の範囲で本を手に取って知るのではなく、
結さんのような有名な人がこの本を題材に取り上げるってことじゃないかなぁ?
忘れ去られ、埋もれてしまう過去の事実を、こうして芝居を通し、多くの人に
知ってもらえれば、次は舞台を見た人が動き出すだろう。現に、知人は
本を借りて読んだと言うから。

 と言う訳で、私が本から受けた感動と、結さんが伝えようとしているメッセージは
当たり前だけど違っていて、自ずと取り上げ方は異なっていたのでした。
お芝居なんてしたことないのに、この発言は生意気だし不遜だと思っております。
はい。でも、素直にそう思ったんだも~ん。

 つづく

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ホーリーと観劇! part 3 「点字を読む能力って…?」

・・・ 3年目に突入!
    でも、まだ2006年の話 ・・・

 「画像としてとらえるのとは違うはず!」

 私は中途視覚障害。目から情報を得て暮らしてきた年月が長いので、
今の生活は、これまでの対極にある全く違った世界。そんな自分に出来ることと言えば、
きっと文字通り「中途」のポジションから両者を見比べること。何をどう言ったって、
全く知らない互いの生活を理解するのは無理なこと。だから、まだまだ視覚障害の
年数は少ないけど、両者が互いに理解し合えるようなパイプ役になれたらと思う。
この観劇シリーズも、そんな観点から書いています。では続きを。

 点字用紙の厚みは葉書ほど。その紙を点字番に固定し、一つのマスに六つの
くぼみのついている点字器ではさみ、先端がくぼみより少し小さく、丸くなっている
点筆でポツポツ打ちます。つまり、点字を書くときは裏(凹面)から打ち、読むときは
凸面からとなります。

ねぇねぇ、ちょっと想像して見て下さい。例えば半紙に「あ」と書いてそれを
裏から見たとします。「はい、花子ちゃん、表から見た字と裏から見た字は
違いますね。でも、表から見ても裏から見ても、この字は{あ}です。どちらから見ても
読めるように覚えましょうね。但し、見ちゃだめですよ。触って判るように
しましょうね。ポコッと膨らんでいるのが判りますか?」。これって超難しくないですか?

 学習障害の一種、Dyslexia(ディスレクシア)は、鏡文字を書いたり逆さ文字を
読んだり書いたりするらしいけど、原因は不明とのこと。でも、目は見た物を
逆さまに網膜に投影し、脳が変換していると聞いたことがあります。
字を覚えたての子供も時々鏡文字を書きます。あれっ、何の話しでしたっけ?

そうそう、例は違うかも知れないけど、視覚障害者って、学習障害と言われている
分野で、まだ解明されていない脳の文字認識現象を自主的にやってるんですよね。
書くときの意識と読むときの意識が異なるんだから、点字速読者の脳ってどうなってるんでしょう?改めて不思議に思います。

それに、またまた点字触読にが手の私の言い訳だけど、触覚から理解する能力と、視覚から理解する能力って同じなのかなぁ。そもそも、点字をどうやって文字として認識しているんでしょう? 点字は図形で、普通文字は画像。中途傷害のせいか、少なくとも私は、触った点の配列図を、「1・2の点だからこれは{い}だ」とか、一度画像として思い描いてしまうんです。そのクッションをなくせれば、読むスピードはもっと速くなるでしょうけど。

見えていた時だって、「書いた字の「あ」が「あ」と言う音と「あ」と言う字としてイコールになり、瞬間に認識できるようになるまでたくさん時間がかかったはず。点の集合を、触れてすぐ一つの文字として認識できるようになるまでには、きっと同じくらいの努力と時間が必要なはず。それに、すでに私の脳には、小学一年の時の柔らかさはない訳で…。(汗)

何だかんだ言ってもやらなきゃダメ。脳科学者のキムタクが出てきて「あっ、判った!」って、効率的学習の仕方とか記憶力倍増法とか教えてくれればいいのに。まぁ、そんな技術や方法があるなら、語学学習で苦労している人たちは飛びつくはず。

 あっ! そうそう。藤本さんはどうやって点字を書いたかと言うと。点筆を
麻痺した手に縛ってもらい、その手をもう一方の麻痺した手で押して書いたんです。
紙が厚いので、点字を打つには力が必要。かといって力を入れすぎると凸面の
先端(点字のてっぺん)に穴があいてしまいます。力の入れ具合も難しいんです。
その微妙な感覚を、麻痺した手が感じ取れるはずがないのに…。(落涙)

それに、麻痺した手は、強く押して点筆が皮膚を圧迫し続けると、治療が必要なほど
そこが壊死してしまうって。しかも治りが遅い。長年頑張ってくれた右手中指の
ペンダコを触ってみます。私のそこは、ペンを握り続ければペン型にへこむし
痛かったけど、壊死することなくペンダコとなって今も存在しています。
ハンセン病のつらさを思い、そこまでして点字を書こうとした藤本さんの努力に
平伏します。

 園内で結婚された御主人亡き後、再婚された方は目の見える人でした。齢を重
ね、藤本さんの点字での読み書きは、ご主人の視力を頼りにするようになります。
先天や幼児失明の人でも、齢が行くと触読に疲労を覚え肩が凝るようになると
聞きました。老眼鏡をかければ文字が読めるのと違い、点字の触読には、
かなりの集中力が必要なんでしょう。自分の未来の姿…と言いたいけど、私は
耳から派。聴力の音路へを恐れます。

 おっと、そろそろ開幕のベルがなり始めました。次回は舞台模様です。

 つづく

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ホーリーと観劇! part 2 「前座で点字!」

・・・ 3年目に突入!
    でも、まだ2006年の話 ・・・

 「そうまでして…!」

 コホン。ここで芝居が始まるまで自主的前座「舌先で点字を読む」って話しはいかが?
指先での触読も苦手な私です。舌先で本当に読めるのかすぐに実験してみました。
まず、点字の出っ張りが判るか舌でなぞってみると…。なんと!これが判るんです!!
イヤ~ァ、感激しました。

毎日食べて飲んでここまで大きくなったけど、自分の舌がこんなに敏感だって
知らなかったし、もっとすごいのは、藤本さんの本によると、ハンセン病で全身が
麻痺して唇まで病に冒されて物が食べにくくなっても、舌だけは麻痺しないって。
人知の及ばぬ世界はきっとある!! そう思わされます。

 点は判ったけど、何が書いてあるかなんて判らないし、それどころかヨコに
まっすぐ移動していたはずの私の舌は、いつの間にか文字列から外れていました(汗)
指先なら、タテに三つ並んでいる点字をいっぺんに感じ取れるけど、舌先は細く、
それは無理。そこで舌を点字の上で動かしてみました。小さな点の一つ一つが
判ります。ところが、これでは一マス一マスの点の集合が判りません。

ヨコにある点字により濁音になったり拗音・促音・外字になったりする点字です。
隣の文字も意識しないといけないのにこれじゃ何が書いてあるか判らない!(涙)

藤本さんは言います。「紙の上を滑らせて行くうち舌先からは血がにじみ、
開けたままの口から落ちるよだれで紙が濡れふやけ、点字に触れているうちに
点がなくなってしまった」。藤本さんは、点字が打たれている紙を机の上に
固定してもらい、紙の上に覆いかぶさるように顔を近づけ、舌で読んでいたんです。

唾液を飲み込むために舌先を紙から離せば、見えぬ目で同じ場所は探せません。
指の感覚があれば、舌の場所に指を置くことも、先頭の行に印として置くことも
可能でしょう。でも、麻痺していればそれも叶わず…。だから、途中で口を
閉じられなかったんでしょう。(号泣)

それでも、練習を続けていくうちに舌先も強くなり、唾液の落ちる量も
少なくなったと言うから、ますます人体の不思議を思います。(連続号泣)
えっと…、もしかしたら、使う場所は舌の表とか裏とかだったかも知れないんだけど、
感動したくせに忘れちゃったんです。(大汗)

 頭痛がしてきたので、続きはまた。

 つづく

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